不思議な間違い

8月8日、私の95歳の祖母が他界しました。

幼いころ家が近かったので、半分我が家のようにしていたので、祖母とは、日常のとりとめのない会話をいつもしていました。

男気で、広い畑で、まっくろになりながら働いた祖母でした。

枝豆の出荷で、枝をまとめながら作業をしていたあの頃のおばあちゃんたちと、おもしろい話をして、ずいぶんと人を笑わせるすべを身につけました。

田舎の大切な人々や、景色が変わっていくのはこんなにも寂しいものなんだと感じています。

90歳になってから5回も手術をして、いつも負けるものかとがんばった祖母が、本当に頑張りぬいて、悔いのない最後でした。

私の子供たちはひいおばあちゃんに溺愛されていました。

子供達は、去年に引き続き私の静岡の高校の時のお友達の実家のお寺に修行体験申し込みをしていて、1班30人くらいで6班の編成だったので、日を間違えない様にと思っていたのですが、自分でもなぜか分からず、6日に申し込みしたつもりが、6日がいっぱいで4日に申し込んであり、その日に行かずに、連絡がはいり、8日からの班になりました。

いくらボケてもそんな間違いをするなんて、自分でひどくテンションが下がって、子供たちもお母さん空気が重いからそんなに落ち込まないで・・・というほどでした。

ところが、ひいおばあちゃんがまさか8日の朝亡くなるとも思わず、前日の7日から静岡に行くことになったので、前の晩ひいおばあちゃんは子供の手を握り続け、翌朝亡くなってすぐに駆けつけた中にも子供たちがいました。

 

お寺に行ってもお通夜とお葬式に間に合う日程だったので、子供たちはお寺に向かい、ひいおばあちゃんの棺に、お寺で習った折り紙のハスの花を入れて、

おしょうさんが最後にあげたお経がお寺で習ったのと偶然同じだったので、一緒にお経をあげました。

今思うと、何故日を間違えたのか本当に気を付けていたのに分かりません。

でもその結果、子供たちが、ひいおばあちゃんを送るまでの間、そばにいてあげられた事が不思議な気がしています。

私の同級生のお友達が、きっと導かれていたんだね。と間違いを責めることなく言ってくれました。

静岡は、ほんとうに暖かい場所です。世代は変わっていっても、ずっとずっと大事にしていきたい所だと思っています。